GRIDMANというバイブル

SSSS.GRIDMANについてひたすら思ったことを書く場所です。

新条アカネと二重思考【SSSS.GRIDMAN】

 二重思考。2つの相反した事柄をどちらも事実だと信じられるという、小説「1984年」に登場する用語です。小説内では「2+2=4」であるという事実を理解していて、尚且つ党が「2+2=5」と言えばそれを信じることができる思考、と例えられています。

 私はGRIDMANを何度も見ながら、主神新条アカネ女史にもこれを当てはめることができるのでは?と感じました。具体的には、「自分はこの世界の神である」という自負と「自分は六花たちクラスメイトと友達である」という考えの2つです。私は女史を見ながらこの2つの狭間で悩んでいそうだな、と思いました。

 

9話における女史は夢の中の世界と自分の世界で同じ人格が分かれています。その分かれ方として、「友達である自分」を切り離して夢に、「神である自分」は残ってその様子を観察していると考えました。「これが本来あるべき形」「私を好きになるために作られたんだから」などの神様視点のセリフは観察している側が言っています。

終盤、裕太と内海に拒絶されて六花にも拒絶された時に初めて自分が作った存在であると夢の中で言っています。そのうち別で話したいのですがそれぞれの夢の女史の精神状態は密接にリンクしていてみんなに拒絶されて二手に分かれたのが誤魔化しきれなくなっていったのでしょうか。

 

基本的に二重思考の状態は「歪」であり「不安定」であって、最後に救われるエンドならその状態が解消されるのが一般的なエンドでしょう。さてGRIDMANの最終話での女史のセリフは「みんなは私の...私の...友達!ここは私が作った世界だからこの世界に私はいちゃいけないんだ...!自分の意志で帰らなきゃいけないんだ...!私の...場所に!」見ての通り、「友達である」ことと「神様である」ことを両方肯定再確認して終わってるんです。これ気づいたときすっごい面白いなーって思いました。終わり。